すみっこでボソボソ

・・・ん?

最後の医者は桜を見上げて君を想う

二宮敦人さん著『最後の医者は桜を見上げて君を想う』読了

 

100日後に死ぬワニがtwitterでバズってた時に思ったけど、自分がいつ最後の日を迎えるかなんて分かってる人の方が、圧倒的に少ないでしょ。

余命宣告されたとて、その通りになると限らないわけだし。

だから今生きてるほぼ全員が、自分の運命を知らずに今日を生きてるし、少し先の季節にも普通に日常が続いていると思って今日を生きてる。よね?

100日後のワニで、何で他人事みたいに感動してるのか不思議だったわ。

 

だからこそ、死病にかかってこのまま治療しなければ・・・と言う余命宣告を受けて初めて、自分がどう生きるか「残された時間を」と期限を設けて考える事ができる。究極の期限。その先は無いんだから。

 

どこまでも戦うのか、受け入れるのか。

 

戦うと言うとすごく前向きに聞こえるじゃない?

でも、今かなり有望な治療法が治験中って言うような情報がなければ、明日新たな治療法が確立されるなんてありえないじゃない。そんな有望な治験情報を、優秀な専門医が何も知らないはず無いでしょ。

 

今できることでは完治が望めない。そう分かってて主治医が戦えって言うのは、単なる「延命」でしかないと私は思う。管がたくさん繋がってベッドから起き上がれない状態で、副作用に苦しんで。私はその状態は「生」の範疇ではないと思っている。肉体が生きている事だけが「生」ではないと思うから。

残った時間が短くなっても、ただ苦しい拷問に等しい医療を拒否して、できる限り穏やかに残った時間を過ごしたい、も前向きな生き方じゃない?

その時間をどう生きるかをちゃんと自分で選択したんだから。

 

戦うか、受け入れるかは、各人が判断するしかない。優秀なドクターであっても他人の人生を勝手に決めるのは傲慢でしょ?

だから私は桐子先生寄り。だけど福原先生を良しと頼む人生観の人だって世の中にはたくさんいると思う。

その二人が、掛け替えのない友人に相対して、感情や信念が揺さぶられるのが人間らしくて良いね。

 

迷うんだよね。人はね。

 

 

 

今日の良かったこと

1:スーパー銭湯行った。天然温泉かけ流し。はぁ大きい湯舟でゆったり。気持ちいいねえ。