すみっこでボソボソ

・・・ん?

代理品が必要

人間の感情って喜怒哀楽っていうけど、私の感情には怒哀がない。
あ、哀はあるかな?寂寥感とか寂しさとか哀愁。虚無とか。
ただ素直に「悲しい」が無い。

 

怒は確実に無い。モヤモヤしたり、ムッと来たりはあっても、それを外に出すことは無い。今まで生きてきた中ではっきり怒った事は1回だけ。その時は私自身も「怒ってる」と自覚したし、相手にも私が怒った事が伝わった(と思う)

周りが私に「なんで怒らないの?」と言う時、私の感覚では「怒ったって仕方ない」とか「それはそう言う物(そう言う人)だから」と、良く言えば達観とか諦観、悪く言えば「何も期待していない」と言う突き放しの感情があるだけ。これってとっても冷たい事だよね。

仕事で新人の指導をしていてよく「怒らなくて優しい」と言われるけど、それは違う。誰に対しても1回目は丁寧に説明する。2回目は「どこが分からないの?」と聞いて、その前後と関連しそうな部分を丁寧に説明する。3回目に「ここが分かりません」と言って来た人にはそこだけ説明し、ついでに関連する部分に対して質問を返したり宿題を出す。

でも、2回目にどこが分からないか説明できない人、3回目に不明点を整理できていないまま質問してくる人には、常に1回目と同じ事を繰り返す(ので優しいと言われるが)そう言う人は今後の成長を期待せず、心の中で別ファイルに置く。期待が無いので4回目でも5回目でも怒る理由がない。優しいのではなく冷淡。

 

「怒る」という、エネルギーが必要な感情が使えるほど、パワフルではないんです私は。

  

でも人間だから、諦観や虚無だけで生きていけない。悲しいと感じていなくても泣いた方がいいなと思う時はある。だって涙を流すと気持ちが軽くなるんだよ。よくできてる人体って。感情が不安定になって危なくなったら、体が泣きやすい状態になっていて、泣いてカタルシスを得る。一種の安全装置。

 

だから私は時々、映画や小説やゲームで泣く。私の感情の代理になるもので泣く。
私が泣いても、バタフライエフェクトが自分に返ってこないと分かっている「作り物」で泣く。

 

今、私は泣くべきだと思っている。自分の不安定さに足がすくんで前に踏み出せないでいる。安定させなきゃと思う。だから泣くべき。
だけど心があるいは感情が、何かを感じる事を拒否していて、何を見ても何をしても泣けない。
ある意味、何の感情も持てないのは安定なのかもしれないけれど、生きたいすら無い上に、短いスパンで感情が馬鹿みたいに上下するのがマズいなと思う。マズいなと思う程度には正気を保っているうちに何かで泣きたい。ボロ泣きして心の中のごみくずを洗い流したい。

 

出来れば何かに感動して、きれいな涙で泣きたいなあ。何かを感じられる自分に安心したいなあ。