すみっこでボソボソ

・・・ん?

記憶

眠れないので、いろいろ考えてしまう。

 

ほとんど記憶がない子供時代。後になって誰かから聞かされて知った子供時代のエピソードは幾つかあるけれど、自分でちゃんと覚えていて、その時の自分の感情も分かっている記憶は、小学校5年生の時の教室のボヤ騒ぎ。担任の先生の名前まで覚えてる。

 

転校したばかりだった。口がきけないのと陰口言われるほど無口だった私。
先生も私のキャラを掴みかねていた頃。

 

理科室で実験をしていた。実験の内容までは覚えていないけれど、アルコールランプを使っていた。どこかの班に入れられて居たけれど、班の人にも実験にも興味が無くて、ぼんやり窓の方を見ていた私。

 

窓際のグループが、火のついたままのアルコールランプの芯を引き出そうとして、ランプを倒したのが目に入る。アルコールに引火。窓際だったので薄い白地のカーテンにすぐ引火した。

 

火事だ!と叫んで皆が一斉に逃げ出す中、私は流れにさからうように火に近づいた。あの時の私の時間はスローに流れていて、逃げ出す同級生たちと時間の速さが違って見えた。起きている事が自分と無関係の世界の事のように、火に吸い寄せられる私を別な私が見つめている感覚。

 

多分、私が火を見つめていたのはほんの数秒。先生が手近な座布団でカーテンを叩いて火を消そうとしていた。
それを見て、着ていたカーディガンを脱いでパタパタと火を叩いた。
火事だと逃げ出した子の声を聞いた他の先生がきて、その先生がカーテンをカーテンレールから引きちぎって、3人で足で踏んで消して大事には至らなかった。

 

それが私の唯一の小学校の思い出。修学旅行の事すら覚えていないのに。

 

怖くなかった?ああいう時はすぐに逃げて良いのよ。何かあったら大変。
私がカーディガンを脱いで、火を叩いている間「いいから逃げなさい」とは一言も言わなかったのに、後から「危ないでしょ」と私の行動をたしなめた先生。

アルコールランプを倒してボヤ騒ぎの原因を作った男子からは「すげーなお前」と言われた。

 

でも、あの時私は何も感じていなかった。火を消さなきゃって気持ちも、火が怖いとか危ないという気持ちも、安全な所へ逃げなきゃって気持ちも、全く何も。
自分のしている事を、無感情な他人の目で見ていて、万が一煙に巻かれたら火に飲まれたら。きっと「ああそういうモノなんだな」って他人が思うように思って死んだろうなと感じていた。

 

危ないと思うモノから、すぐに逃げ出せる。それはどう言う感情なんだろうと考えていた。知らない事ばかりだった。同級生の行動も先生の行動と発言の矛盾も、私の中には無いものだったし。自分の行動も、何も感じていなかった自分の事も知らない事ばかりだった。

 

数日考えて、私には感情がないなと思った。私のすることを見ていた別の私。ただの傍観者だから、きっと別の私にも感情がないだろうと思う。

 

泣くことも怒ることも出来ないのは、今に始まった事じゃなかったんだなぁ。