すみっこでボソボソ

・・・ん?

ワタクシ事 2

子供の時の記憶。物心つくって幾つくらいなんだろう。

私は高校生になるくらいまでの記憶・思い出というものがほぼ無い。
後になって「こう言うことがあったね」と聞かされて知った事をいくつか記憶しているが、自分で覚えていた事ではないのでその時に何を感じた等は何も残っていない。

 

一番小さい時の記憶は3歳。
3歳の記憶だと自覚は無かったが、ものすごく印象に残っている景色があり、大人になってから何かの親戚の集まりで、こう言う景色を覚えているんだけどいつ頃の事だろうと話したら、それはあそこに住んでいた時じゃないか、何年には引っ越してたよね?それなら3歳くらい? と。

大人になってからたった3歳だったのかと知って驚いた記憶。
3歳ってどれくらい抽象的な考察ができるもんだろうか。

 

印象に残っている景色。それは月灯りに光る線路の記憶。

 

当時住んでいた家のすぐそばに線路があり、それは高架じゃなくて小高い土手の上を走る線路。路線が複数あるために何本もの線路が走っていた。
線路の向こう側に用がある時はガード下をくぐるのだが、くぐれる場所が家からはそこそこ距離があって、土手の簡単な有刺鉄線の柵をくぐって線路を横断する大人も多かった。

 

私の記憶は、もう周りが暗くて、駅も近くにないので街灯もほとんどない薄暗い線路を自分一人で横断していて、緩くカーブした線路が月灯りに光っていて、それがとても幻想的だった事と、この線路沿いにずっとずっと歩けば、どこか遠い所へ行けるのかなとぼんやり思っていた事。

 

冬だったと思う。夕暮れが速いとしても、日が暮れた時間に3歳の私が何故線路の向こうに一人で行こうとしていたのかは分からない。多分お使いに出されたんだろうと思う。
「どこか遠くへ行けるのかな」と考えたのが、まさか3歳だったとは思っていなかったが、あの線路のそばに住んでいたのは3歳までらしいので、3歳の記憶なのだろう。
もうその時には「どこか遠く」が私の憧れだったのか。

 

私には少し歳の離れた兄がいる。あの時の記憶がお使いだったとして、もう外が暗い時間に兄ではなく3歳の私をお使いにだす母。兄と一緒にでもなくたった一人でお使いに出す母。

私の記憶の中には、大人になって母の行動の意味を考えた時に、その時母は「娘がこれで死んだとしてもそれはそれで構わない」と思っていたんだろうなと思う記憶がもう一つある。

 

今これを書いていて、兄は何故、母が3歳の私を一人でお使いに出した事を覚えていないのだろう、覚えているなら何故何も思わなかったんだろうとふと思った。
覚えているなら、それでも兄にとっては「母は優しい人」だったんだろうか。兄も自分の幻影のために記憶を閉じている部分があるんだろうか。

 

本当に私は3歳だったのだろうか。自分をいつも疑ってしまう。今私が考えたり思ったりする事は、本当に私がしている事なんだろうか。

 

これも母の呪い?

言葉にして外に出すことで、私は母から解放されるだろうか。