すみっこでボソボソ

・・・ん?

退職しま。

休職しても無理かな。もういいかなあと退職を選択することにした。しばらくすべてを休む事にする。・・・仕事の何がストレスだったのかなあと考えてみる。

 

通勤は確かにしんどかったな。徒歩10分に仕事を見つけたのCMみると羨ましいなあと心から思ってた。でも通勤って仕事ではないのよね。仕事にやる気があれば、やりがいとか前向きで仕事に向き合っていれば大丈夫だったんじゃないかなとも思う。

 

仕事のやりがい?うーん。嫌いじゃない仕事だったし、やりがいが無いって事はなかったんだけど。でも自分が百点じゃないことはストレスだった。足りない部分はもちろん補う努力をしていたけれど、指の隙間から努力がぽろぽろ零れ落ちていくような、多分それは病気の部分。ここは私の弱い部分と分かっているところで反論があると、論より証拠でエビデンスを示す前に、相手に押されてしまう。

「え?そうだっけ?」昔の私ならこれで終わってない言葉だなあ。

「そう?じゃあ調べてみよか」お互いに根拠が示せない事には流されないようにしてたのに、それが出来なくなってたのは何故なんだろう。自信がないせい?

 

仕事の内容以外にも、人間関係にも悩みがあったしなあ。マネジャーが苦手だった。冗談交じりでもそう言う事は言わないでもらいたいなあって事を放言する人だったから。抗議するのも子供っぽい気がするような。「冗談に決まってるでしょ」「冗談通じない人だね」って言われるんだろうなって。

人に関わらずに生きていくことは出来ないけれど、人とうまく関わることは難しいなあ。どこで割り切ればいいのかがつかめない。

 

なんかもう、今の仕事を続けるのが無理な気がしてならなかった。もう気楽にアルバイト程度の仕事でよくないかって。夫がいるからそんな甘えた考えが出てしまう。シングルだったら生活費を稼がなきゃって、我慢する理由が一つ増えるんだろうけれど。

 

ストレスと同時に、仕事は一日のリズムにもなってたから、今後仕事に行く必要がなくなっても規則正しい生活を続けられるかな。読書はできるようになっているけれど、軽い本しか読めてないし、相変わらず自分の事には気力がわかない私。やらなきゃいけない事とか起きなきゃいけない時間が無くなったら、何も出来なくなりそうで怖い。

 

これはただのサボり癖?病気?加齢?考えすぎは堂々巡りするだけと分かっているけど、頭がヒートしそうなほどグルグル。迷路にはまってグルグルしてる。

頭を休ませるために考えないようにしようとして「考えない」を考えてしまう。

決意したのに、また眠れなくなりそうだなあ。

 

紙の梟

貫井徳郎さん著「紙の梟」読了。

 

・・・こわっ。

めっちゃ怖い小説でした。

 

某、巨大匿名掲示板の元管理人さんって、頭がいい、と言うか、自分がディベートで勝てる土俵を見つけるのがうまい。その物事の芯とは関係ない部分でベクトルを自分有利に捻じ曲げるのがうまい人と思うのだけど、彼自体が裏道とか抜け道とかグレーゾーンとか、倫理に反する事でも法律に違反と書かれていないなら良しでしょって人なんだと思う。だから頭いいなと思ってもぜんぜん好きになれない人なんだけども、まぁそれはどうでもいいや。

そのような人が始めたから、あの巨大掲示板はネットの良くない部分、匿名性の良くない部分が集まっていたと思う。一つ一つは力のない無責任な放言でも数は暴力になる。波になってうねりになる。物言わぬ方の意見はうねりに流されていく。

干し草の中から針を見つける事は難しいけど、針を落とさない人たちもたくさん居るんだよなあ。そこが干し草の山だと知っているから。

でも自分自身が針だと知っている人は干し草に紛れればいいとも知っているし。

 

 

レミングって大移動と集団自殺するネズミだよねって思ってた。でも集団自殺は誤解らしくて、その誤解のもとはディズニーのドキュメント映画でレミングが集団で崖から落ちるシーンや大量に溺れ死んだシーンがあったかららしいが、それって実は意図的に崖っぷちに追い込んで海に飛び込ませたのだそうだ。

 

・・・意図的に崖っぷちに追い込んで海に飛び込ませた。

レミングの群れ」の章、これを知ってて読むと知らないで読むのとでは怖さが違うと思う。

 

無責任で単純で素朴な感情や、風向きを見ることや、何も言わない事も。

人間ってやっぱり怖い。

 

 

親子の会話

子「おかんって、選択肢がある時ってたいがい少数派やな」

母「ンなこと無いよ?母は平凡を絵にかいたような人間やん」

 

子「花が嫌いな女の人はおらんくない?」

母「花?別に嫌いじゃないよ。大阪の家ではいっぱい育ててたやん」

 

子「花束とかもらったら、嬉しそう言うよりひいてるやん?」

母「花束は切り花やから。切り花は苦手やねえ」

 

子「なんで?」

母「切り花って、言わば首を切られた死体やんか? 死体を飾って腐っていく過程をきれいやなって・・・ちょっと思えへんなぁ」

 

子「それ・・・少数派言うより異端やで(笑)ドライフラワーはミイラか?」

母「ミイラやね(笑)」

 

 

・・・百合の花みたいに香りが強い花だったりすると、夜中にふと香りがした時に花の恨みを感じたりするんだけど。

やっぱり変?

 

鉢植えは平気だけど、蘭の鉢植えは別。蘭は「私はここにいますよ」って主張してるから。「夜中に意思疎通のできない生き物が部屋にいる感じ」がして、蘭の鉢植えは怖い。だれかこの感覚、分かる人いないかなあ。そんなに異端かなあ。

 

 

健康保険証

健康保険証というものは、常に持ち歩くもの?

 

私はお薬手帳と一緒に診察券入れに入れていて、普段必要のない時は持ち歩いていない。

「万が一の時、健康保険証なかったら困るでしょ?」と言われて、なるほどそう言うものかと思った。万が一と紛失のリスク、どっちを考えるべき?

 

いい歳をして時々、自分の常識の足りなさを思うんだけど、実際みんな健康保険証を常に持ち歩いているもの?

 

ちなみに、クレジットカードは外で使う事も多いので持ち歩いているが、銀行のキャッシュカードは不要の時は持ち歩いていない。今の世の中、現金が無くてもクレカとsuicaでなんとかなる。お財布を忘れても外は歩ける。

 

私のお財布はとても小さいので、カードが2枚と数枚の紙幣と数個の小銭しか入らない。現金で払う時は、いかにお釣りの小銭の数を少なくするかを計算して出す。1円足りなくてザラザラとお釣りが来たときは「たかが1円されど1円」とつくづく思う。

 

閑話休題

 

健康保険証は常に持ち歩くものだとしたら、お財布から変えなくちゃなんない。

さて。確かにと思う気持ちと、だけどなあと思う気持ち。どっちに合わせるべきかなあ。

 

 

 

一橋桐子(76)の犯罪日記

原田ひ香さん著「一橋桐子(76)の犯罪日記」読了。

 

コメディタッチだけど、でも深刻な問題のお話。お一人様の老後って。

 

夫に、私より一日でもいいから長生きして欲しいのも「後始末」もだけど「一人になること」が嫌だから。一人になることそのものは別に多分平気なんだけど、一人になったら、孤独死の可能性が出てくるのと、それによって周りにかける迷惑を、このワタシが引き起こすかもって言うのが嫌なのよね。死んじゃったら誰に迷惑かけようが本人にはもうすでにどうしようもない事なのに。笑

 

 

CATVみてると時々、自然食品とかサプリのCMで「ご愛用者の〇〇様」って高齢者さんが出てきて、とてもそのお歳とは思えない元気溌剌さだとか美貌だとかで、商品を宣伝されているんだけど、あの手のCMをみると先行きの長さにため息が出そうになる。自分もそのモデルさん並みに健康で溌剌とした老後になるとは限らないのに。でも寝たきりとかになったらなおさら。この先の長さがつらい。

 

この国で年を取るのは、なんて心細い寂しい事なんでしょうねぇ。

 

わたしも桐子さんと同じ事考えそうな気がする。

老後の生活で、色々なケアサービスより刑務所の方が手厚く感じられるって、国として貧しいよね?

布団を洗ってみた

うちの近くのコインランドリーで布団が洗えるところがある。

 

お客様用の布団、久しぶりに出してみたらなんだか黴臭くて、これは処分かなと考えたんだけど、ほとんど使っていない(だからまぁ、まめに干したりしてなかったのが悪いんだけど)のに、ちょっと勿体ないなと思って、物は試しに一度コインランドリーで洗ってみるかと思い立った。

 

今どきのコインランドリーって清潔感あって、きれいだねー。

 

大型のドラム式洗濯機に敷布団をいれて、スタートボタンを押すだけ。洗剤も自動投入だし、乾燥までやってくれるし、終了の5分前にはスマホに連絡をくれるのでその場にいなくていいし。

今日は曇り空で、自宅でもう一度干し直すことが出来そうになかったので、コース終了後に、一回布団をひっくり返して追加で乾燥をかけた。

 

出来上がりに感激。ふわふわよ。黴臭さも消えてふわふわ。

これはなかなか良いですなぁ。打ち直しする事に比べたら格段に安上がりだし。

匂いが消えるのがいいわ。

 

とても良かったので、自分の布団も機会を見て洗おっ、と思いながらふかふか布団を抱えて帰ったのでした。

いや実際は車に載せて帰ったんだけど、気分は抱えて帰ったぐらいの勢いで。