すみっこでボソボソ

・・・ん?

【映画】ファーザー

アンソニー・ホプキンス認知症の父親役を演じ、2度目のアカデミー主演男優賞を受賞した作品。
2020年製作/97分/イギリス・フランス合作
原題:The Father
監督:フロリアン・ゼレール 

 

私は世代的に、お父さんの恐怖が身に沁みちゃう。傍らで見守る娘さんの葛藤も辛いだろうけれど、段々とわからなくなっていく恐怖の方が辛かった。
アンソニー視点で描かれると、娘のアンの顔ですら、時々別人になってしまう。

 

映画の冒頭が、いい感じに説明不足なので観ているこちらも混乱する。
え?誰?えっ?さっきの話は??って。え?どゆこと??
この混乱が自分自身に起きて、しかもしばしば起きるとなったら・・・。
こいつは誰だと思った時に、どっちの記憶が正しくてどっちの記憶が妄想なのか。娘婿は実在しているの?それとも娘は離婚していて、今度恋人とパリに行っちゃうの?住んでるのはアンソニーの家?娘の家?もう混乱の極み。

 

娘視点の映像と行ったり来たりするから、アンソニーの記憶と時間が混迷していく様子や、現実と幻想の境界が曖昧になっていくのを「あぁ・・・」って理解できるけど、あの混迷が自分の身に起きて、当然わが身の事なので外からの視点がなく混迷に修正は効かない、ただ混迷が混迷のまま深まるばかり・・・と想像すると、もうめちゃくちゃ怖い。もうひたすら怖いと怯えながら帰宅しました。

 

以下、映画の感想ではなくて、自分のつぶやき。映画には関係ない内容。

 

【ここから続き】

今、ちょっと仕事でメンタルがやられているので、この映画・・・。

生きている意味とか考えちゃう。私が生きている事に意味とか人間としての役目があるのかって。あーやばい。頭の中に平井堅さんのノンフィクション流れてきちゃった。会いたいって言ってくれる人すらいないのに。ヤバイ。

私みたいなのがああいう状態になって家族を苦しめるだけになっちゃったら?って考えると、まともな判断が出来るうちに尊厳死したいとか思っちゃう。家族は大事。苦しめたくない。

 

シェイマス・オウマハニーさんによると、死にかかっている人はあまりに疲れて消耗していて「尊厳死」するほど「崇高」ではない、んだって。

はぁ。わたくしごときが尊厳死と言っちゃいけないか。安楽死か。利己的な死の希望。ヒポクラテスの誓いなんて知ったこっちゃない。そー言えばそれで遺族に訴えられたドクターいたっけ「私のしたことは殺人ですか」だっけ。

 

12歳の時には、生きていたくないモードで人生が起動されたからなあ。私の人生って。「死ねないので生きている」状態でン十年。種の保存の法則の意義は果たしたぜ?わが子は私より優秀。

ただ死んでいないだけのゾンビのような状態に「人」の意味が? 映画のゾンビは死者でしょ。Moving deadじゃん。動く死者ね。私は生きているけど死んでるゾンビ。

生きることに意味なんかなくていいんだぜっ!って世界はあるのかな。社会を形成する一員でいることが辛いんだけど。

 

「・・・という状態だから」かもしれないし「という状態なのに」かもしれないけど。

とにかくアンソニーを観るのが辛かった。でも最後まで席は立てなかったなぁ。 

 

あー。生きていたくても生きられない人とか、そのご家族とかにしてみたら、なにゆーとんねんこいつ、な譫言なんだろうなあ。これ。

 

でも私にも、どんなに苦しくても生きててほしいと願った人がいたので、自分の書いてることが戯言だとはわかるけど、それでも生きていたくない気持ちはもう病気なんだろな。