時代が進んで
今「虚無への供物」を読んでるのですが、この本、初版発行が1964年2月です。
道理で。最初の1ページ目で時代背景が分かる描写があるのですが、Wikipediaで調べちゃったもん。そんで思わずWikipediaに寄付しちゃったもん。
まだ全然序盤で、感想が浮かぶようなところまで読み進めれていないのですが、さすがに生まれる前だと、空気感というか、やっぱり時代性は通じないものがあるなぁと。なんで?って理解できない部分があるねえ。
三大奇書とかアンチミステリーとか冠のついた本で、名前だけは知ってるけど読んだことなかった。ドグラ・マグラよりは、こっちかなと思ったので、もう少し読み進めますが、リタイアするかもなぁ。
ちょっと前に、もう松本清張氏の本は、もう少し古典になるまで映像化が難しい端境期だなあと思ったことがあるのですが、例えば砂の器とかね、難病に対しての理解が進んだことで、本が描く社会の空気感を絵にするのは難しいねと。でもそこが描けてないと動機が理解できないじゃない?
私の世代でもへぇそうだったの?だもの。1世代上じゃないと松本清張氏の世界を肌で感じる事は出来ないと思う。
だけど、そういう時代だったと注釈入れるには昭和はまだ近いから、注釈は空気感を描写できない力量不足みたいになりそうじゃないですか?
時代が進んで便利になる。色々な偏見が薄れていく。現実には良い事だけど、ミステリーの世界には厳しいかもね。
サイコパスはミステリーにはならない。ノンフィクションでしょ、読むなら。ね?